「仁義なき戦い」戦跡巡り
 当Webサイトの舞台である呉・広島では、過去長期にわたってヤクザ同士の流血沙汰が繰り返されてきました。俗にいう「広島抗争」です。
 第1次から第3次におよぶ「広島抗争」は、終戦の翌年・昭和21年から昭和46年の四半世紀にわたって繰り広げられ、死者37名・負傷者66名という犠牲を数えてようやく終息に至りました。戦後のヤクザ抗争において、これほどの犠牲をともない、長期化した例は他に類を見ないと言われています。
 なぜ、このような抗争が起こったのでしょうか。
 「広島抗争」については数多くの文献によって糾明がなされていますが、その中では何といっても「仁義なき戦い」が秀逸でしょう。これは、抗争の主役の一人である呉市の美能組元組長・美能幸三氏が綴った獄中手記を、飯干晃一氏が再構成・脚色して世に出した作品で、東映で映画化されて大ヒットし、今なお多くの人々の関心を惹きつけてやみません。
 ただ、映画では派手なドンパチに目を奪われがちですが、「仁義なき戦い」をはじめとする文献を丹念に辿っていくと見えてくるのは、ヤクザ・堅気の区別を超えた「人間」の物語なのです。呉・広島を舞台に、これほど赤裸々な人間模様を綴ったドキュメンタリーは、この「仁義なき戦い」とやはり美能氏の手による「極道ひとり旅」、そして呉市阿賀出身の博徒・波谷守之の手記をもとに正延哲士氏が記した「最後の博徒」の他には見当たりません。

 ここでは、それら文献や映画に登場する事件の現場、関連する土地の様子を、最近の写真とともに紹介しながら、呉の戦後史の裏側を独自の視点でたどってみたいと思います。

 ※写真(↓)上の○印にマウスを重ねると、地名・建物名などが表示されます。詳しい説明を読む場合はクリックしてください。
JR呉駅
 呉市の陸の玄関口。1日平均乗降客は12,646人(2004年度)。駅ビルは20以上のテナントが入る商業施設となっており、また周辺にはホテルや百貨店・ショッピングセンター、大学サテライトキャンパス、観光施設が集積して、都心の様相を呈しています。

 1947(昭和22)年5月、呉の新興組織・山村組の組員と旅(他所者)のヤクザとの喧嘩に端を発して、助っ人を買って出た一不良青年・美能幸三が旅のヤクザを射殺しました。場所は呉駅から5、60メートル離れたところにあった某事務所の前。「仁義なき戦い(死闘篇)」に、その事件の状況を記した記述があり、その中に「(喧嘩に加わった山村組組員は)いまの(旅のヤクザ)に追いかけられて、川へ落ちとるよのう」というくだりがあります。この「川」とは堺川のことと思われるので、事件現場は現在の「山崎屋弁当」のあたりではないかと…。
 この事件をきっかけとして美能幸三は山村組に入り、やがて大きな抗争の渦に巻き込まれていくことになります。
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大和ミュージアム&てつのくじら館
【大和ミュージアム】日露戦争・日本海海戦から100年目、太平洋戦争終結から60年目にあたる2005年4月23日にオープンした博物館。正式名称は「呉市海事歴史科学館」。呉海軍工廠で建造された世界最大の戦艦である「大和」10分の1スケールの模型を中心に、旧帝国海軍の各種艦艇・航空機や、明治以降の軍港としての呉の歴史、戦後の基幹産業となった製鋼や造船などの科学技術に関する展示があります。 開館後約半年で入場者数が100万人を突破、2007年5月20日(日)には300万人に達する盛況ぶりで、呉市の観光の目玉としてすっかり定着した感があります。

【てつのくじら館】大和ミュージアムに隣接して2007年4月5日にオープン。日本で初めて、実物の退役潜水艦を陸上展示する博物館です。正式名称は「海上自衛隊呉史料館」。「潜水艦の発展と現況」や「掃海艇の戦績と活躍」などに関する歴史的な資料を通して、海上自衛隊の歴史や、呉市と海上自衛隊の歴史的な関わりについて紹介 しています。陸上展示された潜水艦の内部に入って、潜水中の環境を疑似体験することもできます。
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広公園
 呉市が管理する公園。子供向けの遊具コーナーや運動場があり、また2003年2月には隣接して呉市総合体育館(オークアリーナ)も建設されたので、平日休日を問わず、利用客で賑わっています。

 太平洋戦争終戦からちょうど1年目の1946(昭和21)年8月14日、阿賀・広地区で戦後初めての盆踊り大会がここ広公園で開催されました。その盆踊り大会の最中に、阿賀・土岡組の大西政寛が小原組組長・小原馨ら二人の男の腕を斬り落とすという事件が起きています。
 当時の土岡組は、下関の名門博徒・籠寅組と比肩されるほどの本筋者の博徒集団で、若衆に対する躾は相当厳しく、生活態度があまりに自堕落な者は土岡組入りを希望しても叶わなかったといいます。そうした連中が寄り集まって土岡組の悪口を吹聴する。最初は相手にしなかった土岡組も、次第に図に乗って騒ぐチンピラに対して「こりゃ成敗せんにゃいけん」ということになったのが、8月14日の夕方。
 チンピラどもの姿を求めて、土岡正三や大西らが広公園の盆踊り会場に姿を現すと、連中はクモの子を散らすように逃げていってしまいますが、ただ一人残ったのがチンピラどもの兄貴格だった小原馨。彼は土岡組の面々に取り囲まれて盆踊り会場隅の暗がりに引っ張りこまれます。二、三の押し問答のあげく、土岡の舎弟・折見誠三が小原の左腕をかかえると同時に、すばやく鞘を払った大西の白刃が閃き、小原の左腕が地面に…。この後、小原を心配して駆けつけた小原組の磯本隆行も、大西に右腕を落とされてしまいます。

 この事件を契機として、土岡組と小原組の確執は深刻化していくことになりますが、大西−小原間に個人的な怨恨はさはど残らなかったらしい。そのあたりが阿賀者気質ということで、お互いの侠気を認め合っていたからでしょうか。ただ、小原の女房(清水光子姐)は「大西を殺る」と気炎を上げ、海生逸一(阿賀・呉の顔役)に諌められたようです。
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吉浦
 時系列でいくと、ここには「吉浦」が入ります。吉浦ネタは二つ。中本勝一親分の賭場吉浦拘置支所

 1947(昭和22)年の春先。
 詳しい場所はよくわかりませんが、吉浦にあった中本勝一親分の賭場で、「悪魔のキューピー」大西政寛と、美能幸三いわく「ヤクザの手本みたいな男」(「仁義なき戦い 死闘篇」)山上光治が鉢合わせをし、些細なことから揉めたそうです。
 揉めた原因は盆中での些細な動作(?)。口論が高じて両者がそれぞれ自分の懐に手を差し入れた(拳銃を取り出すため)ところで、中本親分が割って入り、何とか事なきを得たとか。二人は仲直りをさせられ、その後、広島の岡道場で再び顔を合わせた際には、互いに挨拶を交わしたといいます。

 もう一つのネタは、現在の吉浦上城町にある広島拘置所の吉浦拘置支所。戦前から海軍の関連施設があり、終戦直後は「吉浦拘置所」と呼ばれていたらしい。
 1947(昭和22)年の夏、ここで大西政寛美能幸三が運命的な出会いをします。大西は呉市会議員の傷害致死事件に連座して、美能は呉駅前での旅人射殺事件による収監。
 ここで二人は兄弟盃を交わしました。盃といっても、拘置所の中。実際に盃や酒があるわけじゃなく、映画「仁義なき戦い 第一部」にもあったように、二人が腕を切ってお互いの血を吸い合うことで、義兄弟の縁を結んだそうな。
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旧魚市場
 昔((GEN)2が小学校低学年だった頃まで)は、写真(←)の位置に「青果市場」「魚市場」がありました。現在の「呉市中央卸売市場」からは直線距離にして約500メートル離れています。正面に見える白壁の建物は「クレイトンベイホテル」。オーナーは…はい、あえてお名前は出しませんが超有名な方ですね。

 昭和20年代には、魚市場の中に賭博場が開設されていました。「仁義なき戦い 死闘篇」や「悪魔のキューピー」(本堂淳一郎著)には、阿賀の土岡組が一時的に盆(賭場)を開いた、というような記述がありますが、実際は常設に近いぐらいの賭場だったようです。(GEN)2の祖父によると、当時、市場に隣接する川原石港から江田島への定期船が就航しており、島に渡る(または島から渡ってくる)高校生たちの一部も、時間つぶしに賭場で遊んでいたという話もありますので。

 その土岡組が開帳した盆ですが問題がありまして、昭和24年当時、魚市場の理事に名を連ねていたのが、呉の山村組組長・山村辰雄。彼にしてみれば、自分が役員という立場でありながら、市場に落ちる金をよその組に掻っさらわれるわけだから、面白かろうはずがありません。加えて、江田島・高須海水浴場の事業や、呉中心部への土岡組の道場(常設の賭博場)開きなど、土岡側の勢いに押される状況が重なり、山村の不満は鬱屈していきます。
 特に呉の常盆の際には、山村は博徒仲間を通して、警察を押さえるなどの協力をさせられており、「自分に力さえあれば」という鬱屈した思いから、勢力の逆転を狙って土岡組親分・土岡博の抹殺を企図するようになるのも不思議ではありません。

 その後は…「仁義なき戦い」フリークならご存知のように、大西政寛が土岡組から離反&山村組へ → 美能幸三による土岡博暗殺未遂事件 → 美能の自首 → 大西による喧嘩殺人事件 → 大西と警官隊との銃撃戦&大西死亡、と続いていくわけです。

 ちなみに、山村組若頭・佐々木哲彦の実家は川原石で履物屋を営んでいたそうで。「佐々木履物店」というのは記憶にありませんが…もしかすると、この付近だったのかもしれません。
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両城の200階段
 映画「海猿(ウミザル)」のロケ地として全国的に少し有名になった場所。NHKの「帽子」というドラマにも登場します。主演の緒方拳さん、えっちらおっちら登っていらっしゃいました。

 写真が小さくて見にくいのですが、ほぼ真下から上を見上げたアングルです。かなり勾配がきつく、足を踏み外したら冗談抜きで下まで落ちて死にます。でも、(GEN)2の知る限りでは死んだ人はおりません。

 休日には、観光客らしい方々のグループが何組もこの階段を登り下りされるなど、準観光地化していますが、苦労して登りきっても上には中学校と一般民家があるだけで、レストランや茶店の類はおろか、自販機ひとつありません
 階段登って、呉市街のパノラマ眺めて(この眺望はオススメ)、階段降りるだけ…実に残念でもったいない。なんとかならんもんですかねぇ…。
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鯛乃宮
 「両城の200階段」から北北東に500メートルほど、呉市東愛宕町にある鯛乃宮神社です。
 鯛乃宮といえば、思い出すのは祭りと第6号潜水艇殉難之碑。
 祭りは毎年11月3日文化の日に行われていました。というか、今も行われていると思います。三条通り界隈の祭りが廃れていく中で最も活況を呈していましたが、ここ数年は見物に訪れていないので…。

 第6号潜水艇というのは、明治39年に建造された日本初の潜水艇でしたが、明治43年4月15日、山口県岩国市新湊沖での訓練中に事故のため沈没しました。
 どういう経緯かよくわかりませんが、鯛乃宮神社の境内に碑が建立され、亡くなった佐久間艇長以下14人の乗組員の英霊が祀られています。死を目前にした状況の中で、乗組員全員が持ち場を守って冷静に行動し、海軍軍人の鑑と讃えられたとか。

 この鯛乃宮、「仁義なき戦い」にも登場します。
 境内は小高い丘の頂に位置しているのですが、その丘の下にかつて山村辰雄組長の自宅があったため。
 1949(昭和24)年8月、山村組長、大西政寛、美能幸三の三人が山村組長宅に集まり、土岡博暗殺の謀議がなされました。美能幸三はたまたま事務所に立ち寄ったところで運悪く企てに巻き込まれたわけですが、山村組長の宥めすかし・泣き落としのあげく、侠気を発揮して刺客を引き受けてしまいます。

 で、9月27日、広島駅前の岡道場(岡組の賭場)付近で、美能幸三は土岡博を襲撃。
 阿賀で知らせを聞いた土岡の若衆・波谷守之は、その晩、単身で山村辰雄の自宅に殴り込みをかけ、大西をはじめとする山村組の面々(谷岡千代松・野間範男・鼻万三・原寿雄ら)の前であの有名な啖呵を切りました。

 「あんたら、わしを撃つんなら撃ちないよ。その代わり、わしも一発だけは撃たしてもらうで」

 結局、波谷は、年長の谷岡や大西の顔を立てる形で山村宅を後にしますが、それがこの世での大西政寛と波谷守之の別れになりました。本堂淳一郎著「悪魔のキューピー」では、最も胸に迫る場面の一つです。
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高日神社
昭和25年1月6日付 中国新聞から
「拳銃で射殺、口論の意趣ばらしから」
《4日午後5時40分ごろ、呉市和庄通り4丁目の高日神社付近で、同町人夫・大西輝吉君(22)が27、28歳くらいの男と口論、輝吉君はピストルで後頭部を撃たれてこん倒、共済病院に収容されたが、5日朝絶命した。呉署では直ちに現場検証を行い、関係者らの供述により容疑者として阿賀町海岸通りの大西政寛(27)を指名手配した》

「悪魔のキューピー、ついに暴発」の事件。ただ、新聞では触れられていませんが、ここに至るまでには重要な伏線があります。

 同日の昼過ぎに、呉市本通の路上で見ず知らずの大西政寛と大西輝吉は偶然に出くわしました。それだけなら問題ないのですが、人夫仲間と連れ立って歩いていた輝吉は酒の勢いもあって、大西政寛にいいがかりをつけ、おまけに彼の女房を売春婦よばわりしました。それだけでも大西政寛の怒りに火を点けるには十分ですが、あろうことかこの軽薄な若者は、名前を問われて本人の目の前で「山村組の大西じゃ」とブチ上げてしまったのです。

 その場は女房が何とか宥めすかして暴発を抑えたものの、悪魔のキューピー、このままで収まるはずがありません。山村組の若衆が手分けして大西輝吉を探し出し、高日神社に呼びつけて…冒頭の事件へとつながるわけです。

 この時期の大西政寛、土岡博襲撃事件(実行犯・美能幸三)によって弟分の波谷守之とは敵対し、収監された舎弟分の美能とは塀の内外で別れ、加えて土岡襲撃の黒幕・山村辰雄には裏切られた形となっており、もはや自暴自棄で知らず知らずのうちに死に場所を求めていたのではないかという話もあります。
 詳しくはこちらを → 悪魔のキューピー「仁義なき戦い」外伝・大西政寛の生涯
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